神は自らの心のうちにあると申し上げたが、悪もまた同じく、自分の心のうちにある

悪とは何か。憎悪という言葉が適当なもののひとつであるかもしれない
憎い、死んで欲しい。そのような敵はいるだろうか
それとも、とある相手に憎いと思われる心当たりはあるだろうか

もし、心当たりがあるのであれば、重大な犯罪を犯している可能性が高い
いますぐ出頭、自首し、社会的な制裁を受けるべきである
それによって相手の気が晴れることがなくともだ


ほとんどの方はそこまで憎く思われることなどは無いだろう
だからといって、相手を憎むことが無いかといえば、ひょっとしたらあるのかもしれない

ここで考えてみて欲しいことがある。その憎い相手が、なぜ憎ましいか
なぜ憎い行動や発言をするのかと疑問に思おう。自分の敵視を疑うのだ
思慮を巡らせよう。たいがいの場合、あなたを敵視しているゆえに憎ましいことをしているのでは無い

なにかの意図があるのかもしれないし、何もないのかもしれない
あなたに対する憎悪を根源としたものではないのが大半である
なぜならあなた自身も憎悪だけで生きているわけではないからだ


そもそも、相手はあなたに対する関心などほとんど無いかもしれない
にもかかわらず、あなただけが考えすぎていることはないだろうか


相手を悪と信じること自体が悪意であり、相手の悪意に対してより強い悪意を持つことは、ただの堂々巡りである
新たな憎しみを増やすだけで、もっと大事なものを失うかもしれない

だが、人はうまくできているもので、憎しみが連鎖し続け滅亡するということはなかった
なぜなら、あなたが今生きているからだ。限りある生を全うするのだから、自分の心の中の悪を取り払おう
世の中は悪意ばかりでできているわけではないのだから


これを特定の誰かのためだとか、批判のためとしているわけではない。その悪意をなくそう
でなければ惨めになるだけか、既にそうであるだろう(自分の美点を忘れろの末尾を借りた)


まあ某アニキに向けてるようなモン。殴って済むなら楽なんよ
殴られるのが一番楽。モノが壊れるよりマシ。弁償するのもさせるのも馬鹿らしい